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イレリシュ大公デュリナー=アストリン=イレシアン(Archduke Dulinor Astrin Ilethian)の追悼集会が、本日、議院尖塔(the Moot Spire)下部の貴族会堂(the Hall of Nobles)にて開催されました。ストレフォン皇帝陛下(Emperor Strephon)、イオランテ(Iolanthe)皇后陛下、皇帝陛下御息女のシエンシア=イフェジニア王女(Grand Princess Ciencia Iphegenia)、皇帝陛下の甥であるルカン皇太子(Prince Lucan)、の方々も御列席されました。以下が皇帝陛下のお言葉の抜粋です。


「デュリナーは我が友であった。そして、デュリナーは変わり者であった。これは悪口なのだろうか? いや、賞賛の言葉なのだ。
偉大なる精神は時として普通でない、異常な様相をしめすものだ。留まることなく未踏の世界の探索を続け、それゆえ周囲からは孤立せざるをえなくなってしまう。この孤立した人々は、指導者、夢想家、予言者、詩人、芸術家、そして時に狂人と呼ばれる。デュリナーはそんな人物であった。そしてその頂点に立つ者であった。


世界をあるがままに見つめ、いまだ足りぬと言わしめるものは何か?いまだかつて到達されざる高みへの道があると言わしめるのは?それは己の見いだした世界に順応した、満ち足りた者の考えではない。我々はしばしばうまく順応しそこなうが、指導者はそんな順応はしようとすらしない。指導者は順応などしないのだ。指導者とは常に不満を持ち、かつてない世界を求め、それを現実にしようと努力する人なのだ。うまく順応するのとは裏腹の行動、それは狂気とも言えるものなのだ。


私がデュリナーの事を知って以来、彼は留まることなく努力を続けた。私はそんな彼が大好きだった。


昔の哲学者が言ったように、どれほどの反対を受け入れられるかというのは天賦の才能であろう。そして、その意味でデュリナーこそは最大の天才なのかもしれない。その身にまとった黒い衣装のように、彼の周りには反駁が絶えなかった。自ら求めた信仰ではないのに、彼は信仰と反抗の対象となり、支持と攻撃の対象となった。彼は人気者ではなかったが、欠く事のできない人物であった。彼は死ぬまで己の信じた道を進み続け、人に理解してもらえるかどうかは気にかけなかった。彼の生涯と死とは、彼の遺髪を継ごうとする才能ある者達への警告と言えるものであろう。明るく輝く蝋燭ほど、早く燃え尽きる蝋燭なのだ。全ての才能ある狂人達よ、功労に満ちた一生は高くつくが、それを恐れてはならない、そのことを忘れないでほしい。


デュリナーは生涯身にまとっていた衣装のように、闇の中に死した。その生涯は満たされることは無かったが、決して否定されるようなものではないのだ。


もう彼には会えないのだ。」



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