Marava/Aldebaran 235-1119


父の死を受けて、ジョン=ペトロフ大王子(Grand Prince John Petrov)は、皇宮での贅をこらした式典でジョン3世(John III)として即位しました。伝統に従って、新皇帝は帝国皇室会議(Imperial Moot)の全議員を現職のまま承認し、時宜を見て下院(the House of Commons)選挙を実施することを約束し、一族が第三帝国玉座につくことの正当性を改めて訴えました。


「簒奪者アルカリコイによる帝国支配は長く続きすぎた」新皇帝はマラヴァン市民に向けてのホロキャスト映像で語りました。「ソロマニの民主主義と自由競争と人権との理想を具現化するソロマニ皇帝の時代の到来である」


ペトロフ氏は30年以上前に大王子を襲名して以来、公的なコメントはほとんど発表しておらず、政治的傾向については知られていません。中道路線をとると思われ、ソルセックやほとんどのソロマニ党過激派には対抗する立場のようです。


帝国当局は、ペトロフや彼の一族はイリジウム玉座(the Iridim Throne)に対していかなる法的請求権も持つことはない、という以外のコメントは出していません。マラヴァン政府は軍人皇帝の一人であるマラヴァ皇帝(Barracks Empress Marava)を祖であるとしていますが、帝国はマラヴァン政府による貴族位を承認していません。


訳注
 アルカリコイ(Alkhalikoi)は、現皇帝 Strephon Aella Alkhalikoi の一族のことで、第二次辺境戦争(the Second Frontier War:615 to 620)の英雄であり、軍人皇帝時代を終わらせたアルベラトラ(Arbellatra:629-666)が一代目になります。(アルベラトラは第32代皇帝、ストレフォンは第43代皇帝になります。)
 軍人皇帝(Barracks)は、別名 Emperors of the Flag とも呼ばれており、内乱期(606-622)の第15〜31代目の皇帝が該当します。(アルベラトラを18人目の軍人皇帝と見る見方もあります。)マラヴァ皇帝は第28代皇帝で、620年の第三次アラロイン戦(the Third Battle of Araloine)でウスティ(Usuti)皇帝を破って即位し、同年のスルガミ戦(the Battle of Sulgami)で敗死しています。
 「イリディウム玉座」は、元々は皇帝が座るイリディウム製の椅子のことでしたが、現在では、帝国政府全体を意味する単語となっています。
 なお、アルデバラン宙域は、ソロマニ・リム宙域の隣(リムワード側)にあります。



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